疑わしきは罰す、それが医療の世界(胆嚢は冤罪によって処されました
癌手術から1年1ヶ月。
3ヶ月毎の検診を除けば、ふつうの生活と変わらない。
アルコールもまあ、たまに飲む分には飲めるし。
整体に通うようになってからは、立ちくらみもずいぶんマシになった。
ほんと、あれが、たった1年1ヶ月前のことだなんて、、
1年1ヶ月前は、あんなに生きるか死ぬかってギリギリで、手術当日は、「あーもー、死んだらもう知るかww」くらい開き直っていたというのに。
今じゃすっかり、健康ボケしてる。胃カメラ(麻酔あり)さえ怖いです。
とはいえ、私が健康ボケしてようがしていまいが、再発率は変わらないわけで、ある日突然急落下する可能性だってあるわけです。
覚悟なんてのは、まあ、、宣告直後からすればよいのだけど、
癌手術から1年1ヶ月。
そろそろ、こう、じぶんの生き様ってものをね。
もうすこし、フラフラせずに、生きていきたいなあとは思うようになったわけです。
周りの人や先生、日本の医療の恩恵をここまで受けといて、1年1ヶ月も経過しといて、フラフラしたまんまじゃ、「なんか影があるかも?」って冤罪で除去された胆嚢も浮かばれない。
なにかに、誰かに、恩返しできる生き方をしたいなあと、ぼんやり思うわけです。
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